南海岸のアラートン・ガーデンとマクブライド・ガーデン、そして北海岸のリマフリ・ガーデンは、「ナショナル・トロピカル・ボタニカル・ガーデン」、通称「NTBG」が管理、運営をしている。NTBGは、カウアイ島に本拠地を置き、地球上の熱帯植物を探求、保護育成、研究し、成果を一般に公開しながら、これらの活動で人々の人生を豊かにすることを使命としている非営利団体だ。カウアイ島以外にもマウイ島のハナにあるカハヌ・ガーデン、アメリカ本土フロリダにあるカンポング・ガーデンを合わせた5つの庭園がNTBGのガーデンとしてリストされている。
ナショナル・トロピカル・ボタニカル・ガーデンの本拠地は、ラワイ渓谷の河口部、ラワイ川沿いの山から海までの一帯のエリアに位置する。総面積約300エーカー(約121ヘクタール/36万坪)にもおよぶ敷地内には、ヘッドクオーターと呼ばれる総本部を備え、アラートン・ガーデンとマクブライド・ガーデンがある。これらのガーデンの玄関口が、ポイプ寄りの海岸線、渓谷への降り口に位置する「サウスショア・ビジターセンター」だ。エントランスとは言え、周辺には素晴らしいサンプルガーデンが広がる。アラートン・ガーデンとマクブライド・ガーデンへの入場は、このビジターセンターで手続きを行い専用のシャトルバスで渓谷へ向かうことになる。ビジターセンターには、オリジナルギフトショップを備えており、お土産品やNTBGのオリジナルグッズを入手できる。NTBGのスタッフが訪れる人々を笑顔で迎えてくれるので気軽に立ち寄ってみよう。
NTBGの総本部は、ラワイ渓谷の最も奥の高台にあり、カラヘオと呼ばれるエリアから降りてくることになる。総本部にある近代的なライブラリーには、絶滅してしまった植物の標本や貴重な資料がコレクションされているほか、教育目的のアクティビティーも盛んに行われている。
ラワイ渓谷と植物園の歴史背景
ラワイ渓谷は、北海岸のハナエにあるリマフリ渓谷と同じく、もともとはハワイアン達が暮らしていた「ラワイ・アフプアア(Lawai Ahupua’a)」と呼ばれる部落のひとつだった。今でもラワイ渓谷には、ヘイアウ(神殿)、居住跡、農業用のテラス、石の壁、養殖場やトレイル跡などの遺跡が大切に保存されている。これらの遺跡は、特に初期のポリネシアからの航海者たちにとって重要な場所であったことを証明する貴重な証拠となっているようだ。
西洋の文化が入ってきて間もなくグレート・マヘレと呼ばれる土地再配分制度が実施され、ラワイ・アフプアアの敷地の大半は、クイーン・エマ(エマラニ女王)の祖父であるジョン・ヤングの息子、ジェームス・ヤング・カネホアに与えられた。カネホアが亡き後、彼の遺言によって姪のエマ女王がその土地を継承することになる。エマ女王が亡くなった後には、女王から土地を借り受けていたダンカン・マクブライドの妻エリザベスが土地を買い取り、息子のアレキサンダー・マクブライドに託された。その後、サトウキビ産業が一気に進み、鉄道建設、大規模な灌漑プロジェクトなどの流れによってラワイ渓谷の姿は一変していく。
1938年、シカゴの金融富豪の息子ロバート・アラートンが、アレキサンダー・マクブライドからラワイ川の河口部の土地「ラワイ・カイ(Lawai Ka’i)」を購入。のちにロバート・アラートンの養子となるイリノイ大学の若手建築家ジョン・グレッグとともに、エキゾチックな植物を配した庭園のデザインとレイアウトを開始する。これが今に残る「アラートン・ガーデン(Allerton Garden)」である。
1960年代、ロバート・アラートンは、米国のトロピカル・ガーデン設立を決め、同じ意志を持つ団体や個人とともに、議会へ嘆願書を提出。1964年、ロバート・アラートン生涯最後の年に、パシフィック・トロピカル・ボタニカル・ガーデンを国定の団体として設立することを承認された。これが、ナショナル・トロピカル・ボタニカル・ガーデンの前身である。のちに、マクブライドから譲り受けたラワイ渓谷の山側の土地が、今に至る「マクブライド・ガーデン(McBride Garden)」となる。
Information
地図 | MAP |
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住所 | 4425 Lawai Beach Road Koloa HI 96756 |
公式HP | https://ntbg.org |