ワイルア州立公園の中にある、リッドゲイト州立公園。その北端にあるのが「ハウオラ地域」と呼ばれる一帯。大航海時代にタヒチから渡ってきたモイケハ(当時のタヒチの尊長)一行が、到着したのがこの場所。肥沃な農場、漁場を確保できるなど安住の地としての要素が揃っていたため、アリイ(貴族階級)やカフナ(祈祷師)など、高貴な身分の人が住み着いた。また「ハウオラ地域」から遠くない、現在のクアモオ・ロードと呼ばれる、ワイアレアレに続く道は、古代には「アリイ・ロード(王者の道)」と呼ばれ、貴族階級の人のみに通行が許された。平民階級の人たちは、ワイルア川の上流でタロイモを耕して住んでいたとされている。
それゆえに、「ハウオラ地域」周辺、クアモオ・ロード沿いにはたくさんのヘイアウが点在し、カウアイ島で最大規模、最も重要な聖域とされている。そしてこの地域に点在するヘイアウは「ワイルア・コンプレックス・オブ・ヘイアウ(Wailua Complex of Heiau ワイルアのヘイアウ群)」として、カウアイ郡やハワイアンのクプナ(長老)、カフナ(祈祷師、スピリチュアル・リーダー)によって手厚く保護されている。
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Column「ヘイアウ」って何?
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キリスト教が入ってくる前の、古代ポリネシア地域で建てられた、神殿を持つ聖域。ハワイではヘイアウ、ポリネシアの他地域ではマラエなどと呼ばれる。日本では、沖縄の御獄(うたき)がそれに近いだろう。多神教時代のハワイを含むポリネシアで、一般的には、宗教行事を執り行う場所、精神社会と交信する場所として使用された。ヘイアウにも種類があり、独自の目的を持ってヘイアウとされていた場所もある。カメハメハ2世時代、その補佐にあたっていたカアフマヌがさまざまなカプ(タブー)をなくし、一時期、ヘイアウの重要さが失われた時代もある。1970年以降は「ハワイアン・ルネッサンス」の一環でフラや航海カヌーに関係する人々の尽力で、再びヘイアウへの重要性が復活した。
ホロ・ホロ・ク・ヘイアウ
クアモオ・ロードをワイアレアレ山に向かって一つ目、左側にあるのが、ホロホロク・ヘイアウ。タヒチからワイルアへ航海カヌーで渡ってきたモイケハ(当時のタヒチの尊長)の指示によって建てられた、カウアイ島最古のヘイアウ。当時のカウアイで勢力をふるっていた尊長プナアイコアイイの娘と結婚する際に、いずれ生まれてくる子どもの将来住む場所を清めるための儀式をする場所として建てられたそう。
また、フラなどで使われるパフ・ドラム(大サメの皮を貼ったドラム)は、このモイケハがハワイに持ち込んだのが、ハワイに導入された最古のものだと言われており、そのパフ・ドラムが祀られた場所が、このホロホロク・ヘイアウだと言われている。別の説では、尊長が決めたカプ(タブー)を破った者を処刑したり、捕虜の戦士を入れる場所であった、人身御供が行われた場所という考古学者の説もある。時間の流れの中で、ヘイアウとしての役割りが変わっていったのだろうか。このような古代的で隣接する状態でバース・ストーンを置いたヘイアウがあり、生の始まりと終わりを祝福するヘイアウ群だと言われている。ホロホロク・ヘイアウの塀沿いに「カラエオカマヌ」というサインがあり、これはホロホロク・ヘイアウの古い呼称だそう。
ポハク・ホオハナウ
ホロ・ホロ・ク・ヘイアウの北側にあるのが、ポハク・ホオハナウと言われ、バース・ストーンのあとが残っている。名前の通り、赤ちゃんを産む場所である。ただし、ここで分娩をするのは、王や王妃になる者のみ。カウアイ島のすべての王、王妃はここで生まれるのが基本であった。そしてカウアイ島だけではなく、ハワイ全島、他のポリネシア地域からもロイヤル・ファミリーが生まれる際には、この場所を訪れるケースもあったという。王、王女の母親である皇室の妃は、この場所に到着するまでは、からだの一部分でも、絶対に大地に触れてはいけないというカプ(タブー)があったそうだ。カヌーで海岸に到着すると、何人かの家来たちが、妊婦をかついでここまで運んだそうだ。いまのようにアスファルトの道が延びているわけではない時代のことである。森林を漕ぎ分けながら、妊婦を安全にこの場所まで運ぶのは、重労働であり、さぞ重責のある任務であったことだったろう。
バース・ストーンは、平たい2つの石と、その背後に縦長の石があり、これは出産の際に妊婦の背と脚を支えたもの。石でできた分娩台といったところ。分娩時には、ラウハラで編んだマットや、カパなどを石の上に敷いたというが、それでも薄いマットやカパの下は石である、こんな硬い石の上で分娩をするというのは、古代の出産はどれだけ過酷なものだったのだろうか。まして生まれてくるのは次世代の王、王女である。無事に生まなければならない重責とあいまって、まさに命をかけての出産だったと想像できる。バース・ストーンの脇に残る石枠は、妊婦が分娩を迎える前に寝泊まりをした小屋の跡地。分娩の前後は、主にカフナ(祈祷師、スピリチュアル・リーダー)によって妊婦のケアがなされたそうだ。ただし、生まれた王はカフナにいったん渡され、母親である妃は子どもとは離れなくてはならなかったという。
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Columnポハク・ホオハナウの伝説「ポハク・ピコ」
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ポハク・ホオハナウの一画に、「ポハク・ピコ」(おへその石)というサインがある。大きな岩に裂け目があり、そのくぼみに、生まれたばかりの赤ん坊のへその緒を数日間、隠したそう。へその緒を隠した場所は、やはりラウハラやカパで覆われたそうだが、もしその数日間の間にへその緒が無事にその場に残っていれば、生まれた赤ん坊は立派な王、王女になると言われ、もしネズミに食べられてしまったら、盗人になると言われたという、一種の占いのような習わしだったようだ。
ポリアフ・ヘイアウ
クアモオ・ロードを少し上がった、オパエカア・フォールのほぼ道向こうにあるのが、ポリアフ・ヘイアウ。カウアイ島の伝説の小人族「メネフネ」が作った数多くのヘイアウの一つだと言われている。74メートル×50メートルの大きなヘイアウで、現在は石を積んだ塀だけが残るが、案内図には当時の様子がイラストで紹介されている。
レレと呼ばれる祭壇、オラクル・タワー(神の予言を受ける塔)などがあったとされ、宗教的な目的で使われたヘイアウだと予想される。その後、時代、アリイの移り変わりとともに、戦いが続いた時代には、勝利を願うヘイアウとして、戦いの神を祀ったという説もある。
ハワイの伝説などに興味を持つ人が不思議に思うのが、その名前の由来である。ポリアフといえば、ハワイ島マウナケアに住む氷の女神の名前。その名がついたヘイアウがなぜカウアイ島ワイルアにあるのか、ということだ。これについては、一時期、カウアイ島ワイルアに住む島のアリイ(王、チーフ)であった、高貴で神のように美しく、強い霊力を持ったと言われているアイヴァヒクプアが、結婚した相手が、ハワイ島の氷の女王ポリアフ。その名前をヘイアウにつけたとされている。
他説では、単にポリアフの名前にちなんだだけではなく、氷の女神ポリアフが象徴する「不動の静けさ」「流れに身をまかせる」といったエネルギー。また、混乱してパニックになっている状況で勝利を収めるように導ける能力を持っていたとされているポリアフのエネルギーを、戦いの時代、島の中心地であるワイルアに取り組んだという説もある。
マラエ
マラエは、ポリネシアで「ヘイアウ」と同義語で使われている言葉。その言葉を用いたヘイアウでもあることから、ポリネシア全体に知られていたヘイアウだということが伺える。「マラエ・アロアテア」という名前で、島の人には認知されてきたそうだ。Teaching & Education Heiau … 教育と学びの場としてのヘイアウとして活用され、ポリネシアの人々に文化、知識をシェアする場所として大切な役割りを持っていたという。
ヒルトン・ガーデン・イン・カウアイ・ワイルアベイ(旧アストン・アロハ・ビーチ)のハイウエイをはさんで道向こうに位置し、ポリネシアで最大規模のヘイアウであったという。現在は、その一部の石が残っているのみ。情報がほとんどなく、マップ上でもたしかな場所が示されていることがほとんどないので、この場所を訪れる人は少ない。
ヒキナアカラ・ヘイアウ
ハワイ語で「昇る太陽」という意味を持つヒキナアカラは、その名の通り、朝陽を迎えるためのヘイアウとして大切にされてきた場所。朝、水平線から昇ってくる太陽に、敬いと感謝を捧げる聖地として、古代のポリネシアン、ハワイアンたちはチャンティングと祈りを捧げたという。もともとは1エーカー(約1200坪)の大きさで、ヘイアウを囲む石積みの壁は、高さが約1.8メートル、幅が約3.35メートル。中には、大きな筐体(きょうたい)の建てものがあった。カウアイ島だけではなく、ポリネシアに於いても、もっとも重要視されていたヘイアウのひとつだ。
周辺に「Hauola, City of Refuge ハウオラ、逃れの地)」と刻まれた銅板があり、この一帯は、プウホヌアと呼ばれる種類のヘイアウだったとされ、ヒキナアカラ・ヘイアウの一部だったという。プウホヌアとは逃れの地を現す種類の聖地。重責を犯した者などにとっての駆け込み寺である。敷地の入り口にあるゲートから中に入った者は、どんなに高貴で地位のある身分の人でも手を出すことができなかったそうだ。
周囲にはヒキナアカラ・ヘイアウを守るように、ハラの木々が空に延びている。ハラはハワイアンにとっては、新しい日を迎える木。同時に、お葬式などで最もよく持参されるのが、ハラのレイでもある。新しい日…新しい命と旅立つ命を祝福する木が同じというのも、「生命はずっとつながり続いていく」という、ハワイアンの考えを現している。そしてヒキナアカラ・ヘイアウもまた、そういった生命をつなぐ場所であったことが伺える。ヒキナアカラの海辺には、ペトログリフが刻まれた石がそのまま残り、これらの大きな石の集合体は、ナ・ポハク・キイ(ペトログリフの石群)と呼ばれている。
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Columnヘイアウ観光の暗黙のルール
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現在でも、フラやハワイアン・カルチャーを学んでいる人々によって、朝陽を迎える儀式がこの場で頻繁に行われている。また、朝陽=新しい日、新しい日々を迎えるということから、結婚の儀式、冬至の儀式、新年の儀式などが、フラやカヌーに関わる人、カフナなどによって執り行われている。現在は、ヒキナアカラ・ヘイアウ跡地へ足を踏み入れることができないように、入り口が封鎖されている。これは一部の心ない観光客によってヘイアウが荒らされたり、やはり一部の他所から訪れたスピリチュアル・コーディネーターやリーダーたちによって独自の儀式が行われたりする例が多く、それらを防ぐためである。ここだけに限る話ではないが、ヘイアウを訪れる際は、むやみに石積みの壁にのぼったり、石を動かしたり、または持ち帰ったりは絶対にしないことが大切だ。ポリネシアン、ハワイアンにとっての聖地ということを理解し、敬いの気持ちを持ってヘイアウを訪ねよう。
ベル・ストーン
ポリアフ・ヘイアウを背にする形で Maka’i (海側)のワイルア・リバー沿いにあるのがベル・ストーンと呼ばれる石。オリジナルの石、Pohakukani (ポハクカニ、ハワイ語で「響き渡る石」)は1824年にダメージを受け、1930年代に行方不明になったと記録されているようだ。叩くとまるでベル(鐘)を鳴らすような音がするこの石は、古代ハワイでは、王家の血筋をひく子供の出産を島人に伝えるために使われたそうだ。山々の尾根をつたって、遠くまで鐘の音が響くように、クアモオ・ロードを上がった、ワイルア川の上方に配置されたと言われている。
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Column旅のワンポイントガイド
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現在は車が入って行けないように、黄色のゲートが閉められているが、徒歩で入っていくのは可能である。草が生い茂っていたり、石自体も川沿いの崖上にあるので、近づく時には足元、頭上などに十分に注意をして行きたいものだ。
Information
地図 | MAP |
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住所 | Leho Dr, Lihue, HI 96766 |
参考 | 入場料なし |