カウアイ島の観光スポット

ワイメア・タウン
Waimea Town

西洋がはじめて出会ったハワイ、キャプテンクック上陸の町。

カウアイ島 ワイメアタウン

ウェストサイド最大の町がワイメア・タウン。ハイウエイを西に向かうと、ハナペペを過ぎたあたりから、車道沿いの土はどんどん赤みを増し、前方に青い空、左手側にパノラマ的に広がる青い海が見えてくる。ワイメア川にかかる橋を渡ると、ワイメアの町である。町並みは「古き良きハワイ」といったノスタルジックさと、1900年代を思わせるレトロな雰囲気の趣きのある町だ。ほかのエリアから来ると、ポンっと別世界に足を踏み込んだようなトリップ感がある。

カウアイ島 ワイメアタウン

町のほぼ中心に海を向いて立つのは、キャプテン・クックの銅像。その道向かいには古い歴史を持つ「Ishihara Market(イシハラ・マーケット)」がある。時間に置いていかれたような雰囲気を醸し出すこの町は、その昔、島でもっとも栄えていた歴史を持つ。

カウアイ島 ワイメアタウン

カウアイ島 ワイメアタウン

カウアイ島 ワイメアタウン

カウアイ島 ワイメアタウン

チャンティング(詠唱)で口承される歴史の物語り

ヨーロッパの探検船がハワイに到着する何百年も前、新しい安住の地を求めて南太平洋からやって来たポリネシア人たちの最初の着陸地だったと、チャンティング(ハワイの伝統的な詠唱)の中で、唱えられている。指揮をとったのは、Kualunuikiniakua(クアルヌイキニアクア)。彼のチーフ・カウンセラー(カフナ)のPiialii(ピイアリイ)とともに、到着したのがワイメアの海岸。到着した一行は、海岸沿いと渓谷沿いに住み着いたそうだ。時を経て、Kualunuikiniakua(クアルヌイキニアクア)が他界したあと、息子のKualunuipaukumokumoku(クアルヌイパウクモクモク)が賢明な統治をしたという。この時代からその存在が口承に出て来るのが、カウアイ島の伝説の小人族メネフネだ。

困難な建設プロジェクトを高いテクニックでこなすマスタービルダーとしてメネフネは知られていた。Kualunuipaukumokumoku(クアルヌイパウクモクモク)の息子Ola(オラ/生命)は、現場作業をメネフネに委託することで、ヘイアウから養殖場、複雑な農業灌漑システムに至るまで、多様な建築プロジェクトを請け負うことで成功したという。

西洋から神が来た!?

1778年1月20日未明、暗い砂浜に2隻の船が停泊していた。船からもれる灯りを見てびっくりした村人たちは「なんだ、なんだ」と大騒動になった。2隻の船は、最初は水上に浮遊する大木だと思われた。その中でカフナ(聖職者、司祭)が言った「ロノ神がいらした!」という言葉で、村人たちは、ハワイの4大神のひとり、ロノの到来だと信じた。これが、キャプテン・ジェームス・クック率いるイギリス船「レボリューション号」と「ディスカバリー号」がワイメアに着陸した時の話。予測もしなかった大歓迎を受けたクック一行。キャプテン・クックと船の乗組員たちは、カウアイ島の住民がはじめて見た最初の西洋人となった。明るい肌の色をした西洋人たちが、その青い瞳とともに、島人たちに与えた大きな衝撃は想像しやすいところだ。

クック一行が到着した時の記録によると、村(ワイメアの町)には60棟の建てものがあり、その他に川の上流に40程のわらぶきの家が点在していたとされている。また、渓谷にはタロイモがたわわに実り、水田には「Auwai(アウワイ)」と呼ばれる灌漑システムが使用されており、その洗練度、完成度の高さに西洋人たちが注目したと記述されている。

このキャプテン・クック一行の上陸をきっかけに西洋の物資、文化がどっとハワイに入って来るようになり、しばらくの時を経て、ワイメアはカウアイと世界を結ぶ貿易の玄関口として大いに栄えた。キャプテン・クック自身は、初上陸から一年後、ハワイ島のケアラケクア湾でネイティブによって殺されている。西洋と出会った地となった記念として、ワイメアの町の中央に何気なく立っているキャプテン・クックの銅像。海を向いて立つその姿を見ながら、ワイメアが辿った歴史に思いを馳せるのも楽しいだろう。

カウアイ島 Waimea Pier

カウアイ島 ワイメア埠頭

カウアイ島 ワイメア桟橋

繁栄と衰退

キャプテン・クックとともに航海し、その後、1793年にワイメアを再訪したのが探検隊の指揮を取ったキャプテン、ジョージ・バンクーバー。ここで彼は、カウアイ王国最後の日々の総督にあたっていた、たった12歳のチーフ、Kamualii(カムアリイ)に出会っている。1700年代末に最初のアメリカからの宣教師の何人かがワイメアに定住し、幼いチーフ、Kamualii(カムアリイ)の抵抗もむなしく、ハワイ王国への反乱が始まった。

1930年代にナウィリウィリ港とポートアレン港の2大港ができ、またこの頃から盛んになったサトウキビ生産地の中心としてコロアの町が栄え、ワイメアは徐々に衰退。今日、ワイメアは西側でノスタルジックな風貌を残し、訪ねる人たちを暖かく迎えるレイドバックした田舎町としての趣きを強くしている。

Information

地図 MAP
住所 Waimea, Kauai, Hawaii